スチュワーデスの寮生活
〜寮の建物・場所〜
1970年代から80年代、航空業界は大量輸送時代に入り、
客室乗務員の数が増えるにしたがって寮の数はピークを迎える
羽田の国際線は成田へと移され、千葉県内、成田近辺にも多数の寮が建設された
日本航空は、成田市に中台寮、加良部東寮、玉造寮など、
いずれも10階建以上の大型寮である
羽田の通勤圏には横浜市・青葉台寮、大田区・西嶺寮。
これらは訓練生も入居していた寮である
青葉台寮などは大田区羽田の訓練所まで電車を乗り継いで1時間半という距離
訓練で疲れた体に通勤はかなりキツかったと思われるが、それも訓練のうちか!?
全日空の大倉山寮は桜木健一主演の「虹のエアポート」のロケ地にもなった
港北区師岡町の小高い山の頂上にあり、ビル屋上に全日空の看板があったので
たいへん目立つ寮であった
大倉山のすぐそば、港北区綱島東に1978年に完成した綱島寮は
パイロットなどの男性も入居していた
しかしスチュワーデスの数が増えるにつれ、寮不足となったことから男性は叩き出され、
スチュワーデス専用寮となった変わり種である
他に横浜市内には神奈川区の反町寮、
千葉県内に本八幡寮、船橋寮、高根寮、志津寮、
勝田台寮、赤坂台寮など多数が散っていた
JAL、ANAともに今でいう"古いタイプ"の寮である
(当サイト管理人の都合で情報が関東中心となっている点はどうかご容赦頂きたい)
昔は寮といえば、JALの青葉台寮、西嶺寮のようにスチュワーデスのみが
入居している寮が一般的であった
しかし大量輸送時代以降は男性棟と女性棟がある大型寮や
グランドホステスとスチュワーデスの両方が入っている寮も増えていく
その他にも総合職の社宅や整備士や関連会社の寮なども多数存在、
これらは社員数の増加によるものである
この頃の寮で最も代表的な寮といえば、日本航空の加良部東寮だろう
大型、女子のみ、CA専用、大浴場に食堂・・・
当時の典型的な寮のパターンが全て当てはまる「女の園」である
加良部東寮に住むスチュワーデスたちの呼称として
「カラベジェンヌ」という言葉も極少数のJAL関係者の間で生まれたぐらいである
加良部東寮は成田ニュータウンの中に建設された13階建の大きな建物
当時の成田は空港の仕事に従事する人のための社宅や寮くらいしかなく、
周りは田畑や雑木林ばかりで夜は虫やカエルの鳴き声が聞こえるような
ヘンピな場所であった
寮が出来た当時の成田ニュータウンの航空写真をご覧頂きたい
青の囲みが「加良部東寮」
そのすぐ左上、道路を挟んだ場所にあるのが「中台寮」である
正社員であったスチュワーデスの福利厚生面は高待遇であった
しかし1990年代初めくらいからスチュワーデスの寮事情は少しずつ変化していく
寮には訓練時から入寮出来ていたものが訓練終了時からになり、
そしてとうとう空室待ちなどという状況になった
これは今まで正社員が行っていた業務を給与水準の低い子会社に委託し、
経費削減を行っていくにつれ、子会社、関連会社の地上職、
グランドホステス(GH)などの職員が増えていったのが原因である
給料が安い子会社GH達のための寮が必要となったこと、
寮費は月に15000円前後なので高給取りの客室乗務員に
寮を供給するよりもGHを優先的に入居させるようになり
結果として高給の正社員スッチーの入寮を制限する方向となる
大食堂、大浴場があり入寮者全員がスチュワーデスという寮は
年を追うごとに減っていく
したがって「スチュワーデスの寮生活」というなぜか興奮する素晴らしい響き!?は
1970年から1990年代初めくらいまでに限られるだろう
それではここで実際に寮に住んでいたCAへのインタビューをもとに
スチュワーデスの寮生活を再現してみる
本来ならばCAご本人の声を音声でお伝えしたかったのだが
「冗談でしょ」と一蹴されたので文章にてお伝えする
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2007.4.29