スチュワーデス研究
制服のデザイン
ANAが制服改訂になる際にデザインを3種類公開しアンケートをとった事は記憶に新しい。
通常、デザインの段階では社内の制服委員会のような所で検討をし、
数種に絞り込んだ後に社内で発表するのが一般的なケース。
デザイン段階で一般に公開する例は少ないので、ANAの例はめずらしかったかと思いきや、
過去にもデザイン段階で一般公開された例があった。
1984年、JAL制服の10年ぶりの改訂が決まった時、
一般公募による制服選定が行われたことがある。
JALのイメージに相応するファッション性と機能性に優れたものという点を選考基準として
「日本航空スチュワーデスユニフォーム・デザイナーズコンペティション」が行われた。
審査には社内の現役CAも加わるが、メインの審査員は有名デザイナー。
この時の審査員は高田賢三、三宅一生、山本耀司、
稲葉賀恵、島田順子、コシノヒロコという豪華メンバー。
後のJAL制服をデザインすることになるイナバヨシエが加わっているのも面白い。
いっそのこと、公募にせず審査員自身がデザインし競合すれば良かったと思う。
ギャラが追いつかないとは思うが・・・
この審査員の中ではイナバヨシエやコシノヒロコは、どうも地味な印象が強いが
それとは正反対なのがシマダジュンコ。
セクシーなスーツやワンピースのデザインに特徴があり、
ボディコンブームの発端はシマダジュンコのワンピースやスーツだった。
バブル期には「49Av.ジュンコシマダ」の服はバカ売れ。
1984年から85年にかけて行われた募集と審査、
デザイン学校の生徒からプロのデザイナーまで応募者は様々。
複数のデザインを応募するケースが多く、
全国から集まったデザインはなんと20201点、応募者は7830名だった。
一次審査、二次審査が行われ、有名デザイナーによる制服決定までの段階を
イベント化し宣伝材料としたのはめずらしい試みだった。
JALの場合、同じような企画を行った2005年のANAよりも20年早く、宣伝規模も大きかった。
そして約20000点の中から85年7月の二次審査で選ばれたのは27点。
ボディコンブームの少し前だったせいなのか、ウエストを絞り込んだようなデザインが多く、
これが当時のファッション業界の流行だったのかもしれない。
これらの中から5点の制服に絞り、各100着程度を製作、
85年9月頃から実際にCAが着用して乗務するという企画があった。
しかし85年8月の123便事故で制服改訂どころではなくなってしまう。
イベント的なものは全て中止され、結局、新制服が着用開始となったのは88年1月のことだった。
「JAL制服コンペティション」に優勝したのは本井重信氏。
下が同氏デサインの7代目ミリタリー調制服である。
ウエストを絞ったジャケット、
そして下へ行くほど絞られたデザインのチューリップスカート。
モリハナエ+JALの雰囲気を継承した紺と赤が映える素晴らしい制服だったと思う。
優勝したJAL7代目制服のデザイン画をアップしたが、当初の色使いは紺と黄色だったようだ。
おそらく生産前の最終決定の段階でJAL側との調整でコーポレイトカラーの赤と紺に
変更になったと思われる。
優勝作品以外にも興味深いデザインを発見。
紺のストライプでダブルのスーツ・・・画像を見て頂きたい。
スチュワーデス研究 第1章でも紹介したが
CAは航空会社の顔、CAが主役という時代はアメリカではとうの昔に終わっている。
しかしまだまだ日本ではCAは注目を浴びる存在。
それにしては現在の制服はあまりに地味すぎるのではないだろうか。
過去のJALの制服コンペティションに習い、ハデハデしい時代の復活を願いたい。
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2006.5.3