スチュワーデスは高嶺の花?
〜その魅力と歴史〜スチュワーデスはなぜ魅力的なのか?
スッチーがもてはやされたのは過去の話と思いきや、
まだまだ男性からは人気がある職業、それがCA(=Cabin Attendant=客室乗務員)だ
スッチーは高嶺の花、お嬢様、美人、容姿端麗・・・とても自分には手が出せない存在。
などと思っている方はいないだろうか!
当サイトを開設したの目的のひとつは「本来のスッチーの姿」を知ってもらうこと
まずはここでハッキリと断言したい
スッチーは高嶺の花などではない!
お嬢様、美人、容姿端麗などというのは1970年代までのお話
日本航空に初めてスチュワーデスが採用されたのが1951年
昭和26年入社の15人がスチュワーデス第1期生となる
そしてJALでは各期に以下のような俗称もつけられた
1〜9期 神話のヒトケタ
10〜99期 伝説のフタケタ
100期〜 美貌の100期
200期〜 知性の200期
300期〜 体力の300期
400期〜 向こう横丁の400期
500期〜 新人類の500期
700期以降 どうでもいい。あだ名さえ無し
つまりスチュワーデスが美人ばかりだった時代は200期から300期台まで
昭和40年代頃までの話で、現代のスッチーはごくごく普通の平凡な女の子たちばかりである
なぜスチュワーデスは高嶺の花と思われがちなのか、
美人が多いと思われているのか、これらは後の章でも詳しく解説をするが
まずは「高嶺の花」などという誤解を解いて頂き、なぜそのような思い込みが
いまだに発生してしまうかを分析してみる
エアホステスが最初に登場したのはアメリカである
アメリカのスッチーの歴史を追っていくと、そのすべてが見える
ユナイテッド航空がスチュワーデスを乗せ始めたのは1930年
当時はエアホステスと呼ばれた
それから1950年代まで、飛行機は一部の富豪や社会的に地位の高い人物、
経済的に成功した者だけが乗れる乗りものだった
移動に飛行機を使うのは贅沢の極みであり、それが成功者の証でもあった
機内で乗客の接待をするのが「エアホステス」である
シャンパンを注ぎ、皿に盛った豪華な料理をサーブする
時には会話の相手となり乗客に快適な旅を提供する
エアホステスは美人で容姿端麗、知性と教養を備えた女性のみが就ける職業である
給与も高く、海外にも行ける、当時のアメリカでさえ
飛行機での移動は目的地へ早く到着するためのものではなく
豪華な空の旅を楽しむためのものだった
飛行機は高級な乗り物であり一般人には程遠い存在、
従ってエアホステスも"高級"な存在で憧れの的だったわけである
アメリカを代表するエアライン、パンアメリカン航空。コーポレイトカラーはスカイブルーにホワイト
TWAやユナイテッド、アメリカンをはじめ、他のエアラインでも長年に渡り、
白っぽいブルーやくすんだ感じのブルーを制服に使用していた
アメリカ人はスチュワーデスの制服と聞いて第一にイメージするのはこの微妙な色合いのブルーである
(日本人であれば、スッチーの制服のイメージは「紺と赤」なのだがこれらは第4章にて説明)
1960年代、ボーイング707などのジェット機が大量導入されると乗客の獲得合戦に熱が入る
今までの富裕層だけではなく一般大衆が飛行機を利用する時代となった
そんな中、古参エアラインであるバンナム、TWA、ユナイテッドなどに対抗すべく
斬新な宣伝で一躍脚光を浴びたのがブラニフ航空だった
制服は今までのスチュワーデスをイメージするスカイブルーではなく
ピンクやオレンジなどを使ったサイケデリックな色調の制服を採用
しかも機体まで奇抜なデザインにし注目を集めた
機内では「エアストリップ」と称するスチュワーデスのファッションショーのようなサービスも
行われていた。当時のテレビCMを是非ご覧頂きたい (動画-mpg 約1分)
「スチュワーデスは美人、知性と教養を備えた存在」
ブラニフ航空はスッチーの魅力を全面に押し出した広告やテレビCMを展開した
機内で美人のスチュワーデスに出会えれば男性乗客は喜ぶ
という単純明快な点に狙いを定めたブラニフの宣伝戦略は大成功を収めた
ブラニフに刺激され他のエアラインも対抗策を放つ
1960年代後半からのミニスカートブームに乗り、 パシフィックサウスウエストやイギリスのBOACなど
スチュワーデスの制服にミニスカートを採用、このブームは一気に全世界的に広がり
スッチーミニスカ制服 世界選手権!?のような状況となる
そして搭乗券もこんな具合に・・・ もうここまで来るとハァハァを通り越し鼻血が出そうである
当時の男性乗客は搭乗前から興奮状態だったと思う。うらやましい時代である
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2006.4.18