時代の移り変わり

〜 リストラクチャー 〜








2009年10月時点で日本航空の客室乗務員数は8050名、うち外国人CAは1050名。

そして会社更生法適用後の2010年にはCAの退職者が約2000名。

リストラによってJALCAの数は現在5000名を下回っている。



一方のANAはグループ全体の客室乗務員数は約6000名。

JALに追いつけ、追い越せという長年の目標を達成、2010年の利用客数がJALを超えた。

ANAが国際線に就航したのは1986年。

当時のワシントン線などは空席だらけでCAへの声カケし放題。CAと話し放題。

ボーッとしていてもボールがパスされ、ゴール前のキーパーもいないような状態。

シュートを打ち続けたおかげで、コロコロシュートでさえゴールが決まったりして・・・

機内で知り合うという状況ではまさに天国だった。



交際していたCAを空港に迎えに行くのは楽しみでもあり、ある種の勝利感を伴っていた。

(アホウかもしれない。そして理由も上手く説明できん!)

まだそのCAと一度もヤッていない状況であっても、なぜか勝ち誇った気分で空港に向かったものだ(笑)



成田の第一ターミナル前に建ち、燦然と輝くJALオペレーションセンター。

その裏手にあるN1ビルとN2ビルというのが全日空のオペセンだった。

まったく人気のない一本道。ときおり通る車が砂埃を舞い上げる。

ホントにこの先に全日空のオペセンがあるのか?道に迷ったか!?・・と誰もが思うような場所。

まっすぐ行くと、建物がある。N1ビル?N2ビル?ビルじゃないだろ、こりゃ。

それは掘建て小屋のようなプレハブのような・・・

工事現場事務所のような建物がANAのオペセンだった。

「全日空のくせに国際線かよ!おまえら、オペセンは裏っかわの目立たないところに建てろよ!

ビル建てたい?ダメだ!プレハブで十分だろ!」みたいな仕打ちを受けているような感じの建物だった・・・



ANAのCAを迎えに行く時、

その道はANAのオペセンにしか辿り着かないので

車で進入すると迎えに来たのがモロバレでCAに迷惑がかかる。

どこかに車を止めて歩いて行くにしても、待つ場所も隠れる場所もないので

刑事でさえ張り込みが出来ないような環境。

仕方がないので空港の駐車場で待ち合わせ、歩いてきて疲れたと文句を言われたこともあった。




全日空プレハブオペセン玄関前のANACAたち。1989年



同時期の羽田の日本航空オペレーションセンター前などは凄かった。

オペセン前は公道で路上駐車ができる。一般の車が隙間なく駐車しているのだが、

止まっている車の2割くらいには運転席に人がいる。

オペセンから私服姿で出てきたCAは路上駐車している男の車に乗り込んでいく。

CAを迎えに行きつつ、こんなCAウォッチをするのも楽しみのひとつだった。



CAfun管理人の先輩D氏が交際していた日本航空スチュワーデス。

彼女は金遣いがあらく、ステイ先ではありとあらゆる買い物をしてくる。

D氏はお土産としてよく高級ワインをもらったそうである。

当時の日本航空客室乗務員の給料は信じられないほどの高給。

厚生面でも優遇されていた。

今と違ってタクシー使用の規定は甘く、電車で通勤する頻度は多くなかった。

フライトやステイごとに加算される乗務手当も高く、

高遇だからこそお嬢様や美人が集まっていたとも言える。

その彼女は浪費癖が凄かったらしく、月の給料はすべて使い切るという生活だったらしい。



日本航空のオペレーションセンターに設置してあるパーディアムなどの

現金支給機は各自のカードを入れることによって現金が引き出せる。

本来はステイ先での食事代などに使うものだが

毎回リッチな食事をするわけでもないので普通は現金が余る。

しかし彼女はこれさえも使い切ってしまうらしい。






JALオペセンにあった昔の現金支給マシン




ある日のこと、D氏に彼女から電話がかかってきた。

ステイ先のパリのホテルから国際電話であった。

当時の国際電話は高い。滅多なことでは電話などかけないものである。

何かあったのかと彼女に尋ねると、「ちょっとお願いがあるの・・・」

聞いてみると今月の給料をすべて使い果たしてしまい、

「マンションの家賃が払えないから、お金貸して」という電話だった。

しょうがないなあと言いつつ、D氏は翌日、彼女の家賃を振り込みにいったそうである。

それにしても凄い使いようで何回か金を貸した、その分はガンガンやらせてもらった、

とD氏は高らかに笑っていた。

給料、待遇、送り迎え、食事にデート・・・

高嶺の花、スチュワーデスが贅沢だった時代。高嶺はイコール"高値"でもあった。








話はかわって2011年、冬。

東京の街を歩いていると黒のパンスト姿の女性が目立つ。

パンストを履かない女性が増え、ピーク時の半分とか3分の1とか、

メーカーの敵はナマ足だ、みたいな記事を見かけたのが数年前。

ところが今年はほぼ全員といっても過言ではないほど、街を歩くお姉さんたちは黒パンストを履いている。

ファッションは時代を繰り返すらしいが、綺麗なお姉さんの黒パンストはやはり良い。



ANAは黒パンスト、JALも黒。黒がスタンダードとなったCAパンスト。

ANAのカネボウベルパワー時代は私服にあの特殊な紺色のパンスト姿はとても目立った。

フライトが終わり、着替えるのが面倒なのだろうがまず私服とまったく色が合わない。

パンストだけ浮いていた。

こちらとしてはすぐにCAとわかるし、私服と紺ストとのミスマッチに興奮したものだ。




私服姿のCA




数年前までは私服姿のCAを電車の中で見かける回数はあまり多くなかった。

しかし今ではタクシー使用の規定が非常に渋くなったので電車内で見かけるCAの数が激増。

羽田空港へと繋がる京浜急行、接続している都営浅草線などは

昔と比較すれば100倍といっても大げさではないほどの人数を見かける。

CAが乗っていない車両はないというくらい多いイメージ。



電車内で頻繁にCAの姿を見ることができるなど、昔は考えられなかった。

すべては「リストラ」が原因だろう。

JALからは贅沢さが失われ、ANAは激務の域を超えている。

羽田の国際線化で出社時間が朝4時というフライトもある。

すると起床時間は午前2時で、、うーん、こりゃ辛そうだ。

これが本来の姿なのか、時代の変化か。まあ何でもいいが結論としては、

CAが好きだ!




イベントでよく見かけるJAL広報要員CAさん。とても親切で愛想が良い。




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2011.4.3

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